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●病理研究の人:天あま兒ご  民たみ恵え医学博士。明治30 年まで郷里で開業していたが、伝染病研究所に入り大正6年「ビオフェルミン」製薬に成功。昭和7年兵庫県医師会長に推された。昭和10 年63 歳没。●孝心深い努力の人:森もり平ひら鎌かま太た 郎ろう医師。明治元年生まれ。葛こずまた又で誕生。父祖に一糸の資材も仰がず、終始独力で勉強し北米の大学医学部を卒業、学位を得た。孝心深く父母の逝去後立派な墓を建立。大正5年49 歳没。●慰労芸能の人:武たけ市いち 雲うん和な法眼探泉の門にはいり画道に精進。請われて、黒松寺の襖戸に花鳥画を描いた(現存)。また「田野々田どころ芸どころ」といわれる程洗練されていた歌舞伎芝居の劇団:旭美団創設。昭和初期まで続いた。没不明。●高潔求道の人:豊とよ田た  明みょう實かん徳島県曹洞宗宗務所長。安政4年生まれ。黒松寺7世住職、社会事業にも貢献深かった。神しんめい明部落の旧家大内家(現在徳島市在住)の始祖は1190 年、源げんぺい平屋や 島しまの合かっせん戦の際、平へい氏し の教のりつねこう経公の配下に属した一武将が教経公の武具を捧持し、源氏の追手をのがれ田たのの野々神しんめい明の地に土着し農民になったと伝えられている。祠を設け、「教のりつね経権ごんげん現」と称し敗走当地から捧持してきた武具を祀っていた。武具の一部は今も神明神社に奉納されている。2014 年現在は大内家の血縁者東岡家によって奉持されている。なお冒涜することがあってはならないと、武具の開放は許されていない。田野々のルーツ:祖先の人々 MAP?時代は不詳だが時をさだめず他部落から来て定住した田野々部落形成の草分け7軒:木家(葛又)平(葛又)楠木(上菅蔵)栗岡(下菅蔵)尾仁(下中村)森脇(大平)高張(神田)。内2014 年現存は平、栗岡、尾仁のみ。共に生きるために尽くした人物源平屋島の合戦とは1185 年に起きました。一ノ谷の戦いに敗れた平氏は、讃岐国屋島へ逃げて本拠を構え、一方、源義経が率いる源氏軍は軍船を組み、平氏を追って屋島へ。その際、扇の的や弓流しなどのエピソードが生まれました。屋島の戦いでは、平氏軍は、屋島を追われ、山口県下関市の彦島へ逃げ落ちます。の出展は「上勝町誌」「上勝町誌続編」による対する問合せ先T E L:0885 ? 46 ? 0108FAX:0885 ? 46 ? 0309Mail:tsci0200@tsci.or.jp近隣地域館6680体験00350249ド勝浦町:さくら祭り5日 上勝町:月ヶ谷温泉恋こい鯉まつり上勝町正木・勝浦町与川内:ホタルまつり徳島市12 日~ 15 日 阿波おどり上勝町:棚田の音楽祭祭勝浦町:ビッグひなまつりベント勝浦町:みかん狩りMAP 7MAPMAP 4ンド内MAP